二次創作における長編大明神

小説を書くのって、ドラゴンを育てるみたいじゃないですか?

pixivで二次創作小説を検索していたときの話です。その日わたしは、街全体が暗くなるのを見ました。空を見上げると、大きなドラゴンが、力強く舞い上がったところでした。日が翳ったかに思えたのは、そのドラゴンの羽根があまりに立派で、身体が堂々としていたせいでした。ドラゴンの瞳は賢そうに光り、実際に隅から隅までとても聡明です。わたしは誰がこの見事なドラゴンを育てたのだろうと思い、小説の作者プロフィールのところまで飛び、作者のTwitterを発見しました。新たな長編大明神を見つけたのです。

長編大明神とは、長編を書く神のことです。わたしが今作りました。

あなたのジャンルにもいませんか?長編大明神。わたしの経験ではひとつのジャンルに一人は長編大明神がおわしました。大きなジャンルなら複数の長編大明神がおわすこともあります。と言ってもそんなに多くのジャンルを駆け抜けてきたわけではないんですけどね。居座るタイプなので

長編大明神の書く長編といったらすごいです。大きな物語を貫く一筋の力強い流れ。それは、どこに行こうか決して迷うことなく、ひとつところを目指し流れる。疾走する大河なのです。

背筋に一本きちんと入った覚悟があるというか。長編大明神の小説の背には生きた健康な脊椎があって、物語をしゃんと立たせ、動かしたり歩かせたりしているのです。

長編大明神に憧れる人は多いと思うんですよね。だって、自分もあのように書けたらいいなぁと思うじゃないですか。そして、自分ももしかして、がんばれば書けるのでは?とも思うわけです。

しかし、一万字の二次創作小説を十本書くことと、十万字の二次創作小説を一本書くことは大きく違います。十万字なんてまだまだ中編なんじゃない?と思える長編大明神の方はどうかお鎮まりください。

わたしはアカウントを変える前、なんとなく一万字程度の短編を作ることが多かったです。わたしにとってはサッと書けるという字数ではありませんが、何千字という短編になってくるともはやこれは一発芸の世界だと思ったからです。一発芸は本当に才能というか、アイディア次第なので、キレキレのセンスがないと非常に難しいのです。

そもそもの話ですが、長編が優れていて短編が劣っているというわけではありません。長編には長編の苦労が、短編には短編の難しさがあると思います。長編には長編の豊穣さ、ふくよかさというものがあり、短編には短編の、閃光のようなきらめきがある。

ここで言いたいのは、無理して長編大明神を目指さなくとも良いということ。もちろん目指してみてもいいんだけど。目指すのは短編大明神でも、中編大明神でも良いし、何も目指さなくても別に良いのです。

小説を書いていくことは、ドラゴンを飼うことみたいな感じ。どんなドラゴンだって育てるのは大変。でも手のひらサイズのドラゴンなら、まあ手間はかかるけど誕生から独り立ちまで短い傾向にあるし、お世話も楽でしょう。ちょっとの餌でいいし。

けれど大きなドラゴンになればなるほど、育てるのに時間がかかり、手間がかかる。言うことを聞かせるのも長編大明神は非常にうまい具合にやるのでしょうが、誰でもうまくいくとは限りません。暴れ出したらめちゃくちゃになって、もう大変です。結構暴れ出すと思うし、飼育計画もきちんと立てなきゃ不安です。もしかしたらドラゴンの吐いた炎で火傷して、書くこと自体嫌になるかもしれないし。

しかも、気軽には飼育をやめられません。自分にしか育てられないため、独り立ちさせられないなら、死んでもらうより他にない。放置して飢えさせ、忘れればいいんですが、飼育に時間をかければかけただけ、後味も悪いものです。

大きくて素敵なドラゴンを見ても。自分の手元にある、手のひらサイズのドラゴンの鱗の美しさや、色の奇抜さ、優しさや冷たさを忘れずに、できれば独り立ちさせるところまで育ててみたらめっちゃ良いんじゃないでしょうか。もちろん生殺与奪の権は作者にあるけどね。ドラゴンにはあなただけが頼りなのです。

ちなみに一万字サイズのドラゴンは、飼いやすくてオススメです。