狂った艦長を突き落としたのは誰か

最近は帆船小説をよく読んでます。

この前読んだ「スペイン要塞を撃滅せよ」(ホーンブロワーシリーズ)が怖くて面白かったので記事を書きます。かなりネタバレがあるので、気をつけてください!

海洋冒険小説」という括りがあり、その中でも帆船を舞台にしたものが、帆船小説と呼ばれます。何十年が前に流行ったんだって。

小さい子向けのものでは「宝島」とかもそのくくりに入るらしいです。

わたし宝島も最近読んだんですけど、あれも怖くないですか!?ゾッとしたんですけど……

 

船っていうのは密室なんですよね。そこで殺人が起きても、反乱が飽きて犯罪者どもが船をハイジャックしてしまったとしても、助けが来ないわけです。少なくとも接岸するまでは。

宝島は少年の冒険!みたいな感じで紹介されているけど、普通にバンバン人死ぬし(初期のウォーキングデッドくらい死にます)残酷だし、これって子供向けなの!?と思ってしまいます。文体とか分かりやすさは子供向けだと思うけどね、起こってること自体はわりと凄いよ!!人当たり良いけど明らかに殺人を行ってきた人間を、そうと知らずに信頼して船に乗せてしまい、水夫たちもその人の仲間で……みたいな。怖っ

で、今回の「スペイン要塞を撃滅せよ」は、ホーンブロワーシリーズの二巻目(時系列順に並ばせると二個目ってことです。書かれた順番とは違うみたい)にあたる本です。宝島にもうっすらと感じられるサイコスリラー加減をもっと強くしたような感じの本になっています。

これはジャンルとしてはサスペンスに入るのではないかと思う。やっていることや、物語の主軸としては、スペインの要塞を攻めて陥落させるという流れがあるんだけど、前半の感じがまさしくサスペンスやミステリーなんですよ。

この本は、ホーンブロワーではなく、ブッシュという海尉の視点で語られます。ブッシュは後々、ホーンブロワーと一緒に冒険を共にしていくキャラクターなのですが、ここでは彼らの出会いが描かれます。

ブッシュは新しい艦に配属され、その艦を訪れるのですが、彼はその艦の甲板に足をつけ、艦の士官たちに触れてみてすぐに、その艦の異様さに気づきます。

その艦では、士官同士でおしゃべりをしようとしないのです。

真面目だからでしょうか?仕事に対して熱意があって、馴れ合いたくないから?仲が悪いから?……違います。

艦長が狂っているからです。

艦長の気がおかしくなっているのです。艦長は、疑心暗鬼に陥り、「士官たちが自分に対して反感を持っており、謀反を企てている」という妄想に取りつかれています。艦長は士官たちを厳しく罰します。無実の罪で。

精神状態が悪いということを"狂っている"と表現することの是非は置いておきますが…

みんな艦長のことをおかしいと思っている。でも、艦長は艦では神に近い権力を持っており、誰も絶対に意見ができません。反論や批判なんてもってのほか、士官同士で艦長のことを話そうもんなら、それを理由として「反乱を企てた」とされ、絞首刑が待っています。この時代のイギリス海軍では、上官に楯突くことがものすごい重罪なんですね。

絞首刑にされなかったとしても、反乱に関わったと艦長が海軍に報告すれば、その士官は社会的に死にます。

彼ら士官は海軍本部のおぼえがめでたくないと、昇進できず、閑職に追いやられるか、休職させられるからです。反乱事件に関わった、その船に乗っていた、という記録が残るだけでも、彼らのこれからの生活に大きな影響を及ぼします。そうなれば、海尉がみんな持っている、「いつか自分も艦長になる!」という夢は閉ざされてしまいます。

そんなわけでその艦には鬱々とした沈黙が蔓延しているわけです。艦長は水兵(平の兵士)には優しいんだけど、士官に対して異常に疑い深いんですね。

ブッシュはこの船にとっては新入りですが、シリーズの主人公であるホーンブロワーはこの病的な艦で二年も働いています。二年もこの閉ざされた狂気の艦の中で暮らしているわけです。この異常な状況下で、自分の意思で陸に降りられないなんて怖すぎる。

彼はブッシュに言います。「運が悪いどころではないと思いますよ」、と。このへんすごく良い感じに書かれてます。雰囲気がある〜!

士官のメンバーは、耐えきれなくなり、ついに、艦長を艦長職からおろすことはできないかと話し合うようになります。これは艦長が頭の中で想像していた「みんなが自分を批判し、謀議を行っている」という状況そのものです。

艦長が妄想に囚われていなければ、こんなことだって起きなかったはずで、艦長は自分の恐れる状況へと自分から突き進んでいったような形になりました。

この艦や、艦長がどうなったかというと。艦長は、士官たちの謀反の気配を嗅ぎつけ、彼らを捕まえようとします。が、そのとき艦長は、上の甲板から下の甲板へと、昇降口から真っ逆さまに落ちて、大怪我を負います。

え?

事故?

それともこれは……誰かがやったんじゃないのか?誰も見てないところで、誰かが艦長を突き落としたのでは?

ブッシュくんはというか、みんながそう思います。内心。

でも、誰がやったかは誰も見ていないのでわからないし、そもそも本当に事故かもしれません。この日は荒天で、艦の揺れが激しく、バタバタしてるところで転落事故があってもおかしくはありません。

怪しいのは艦長からいじめられていた士官候補生と、我らが主人公、ホーンブロワーです。

艦での会話は裁判で証拠となってしまうため、彼らは「もしかして誰かが殺そうとしたんじゃないか?」とか話し合えません。

でも……なんか…やっぱりホーンブロワーじゃない…??

まあでも、やっぱり事故だろう、ということでその場は落ち着きますし、海軍本部へもそう報告することになります。読者も、このシリーズを通しての主人公がまさか人を殺そうとするはずはない、と思い直します。

もちろん、大砲で向こうの艦を撃ったり、斬り込んでいって敵兵を殺したりはしていたけど、自国の人間を突き落とすなんて、しないはず!

他の巻はホーンブロワー視点で書かれているので、ホーンブロワーのことは、読者はよく知ってるんですよ。くよくよしてて、気難しくて神経が細いけど、大胆なところもある、いい奴です。

そう、彼は大胆なんですよ。

ここから艦長は重症の怪我とともに精神状態が悪化し、艦長を務められる健康状態ではないと判断され、この艦の副長が任務を引き継ぎます。話は本筋の、スペインの要塞を攻略する流れへと移っていきます。

ここからはブッシュ視点で、ホーンブロワーの有能さについての描写が続きます。ソツがなくて、用意周到でひらめきがあり、熱意がある。ブッシュはホーンブロワーと真逆の人間ですが、彼のことを認めていきます。すごくハートフル!

いやなんか…ちょっと描写がラブすぎてラブ〜❤️人間と人間のあらゆるラブ〜❤️になりますが、そんな「ホーンブロワーとブッシュ」を楽しみながらも、やっぱり読者的には、艦長殺人未遂事件のことが引っかかっています。

この艦にホーンブロワーは二年もいたということ、士官候補生がいじめられ、艦長に命を奪われるかもしれない事態になるのを彼は近くで見ていたこと。

そして、繰り返し描かれる、ホーンブロワーが大胆な手段に出ることを恐れず、やると決めたらやるという人間だということ。

………

 

やったんじゃね?

こんなに主人公のことを信用できないことってある?

で、結局どうなったかといいますと、分からずじまいなんです。読者にも。

ブッシュくんはホーンブロワーに何度か「艦長ってほんとに事故?」「君は何か知らないのか」「もしかして、君が?」と聞くんですが、ホーンブロワーは決して答えません。

もしかしたらいじめられていた士官候補生が艦長を突き落とし、ホーンブロワーはそれを知っていたけど黙っている、ということかもしれません。

その士官候補生は、まもなく別の艦へ配属され、そこで戦死。もう、誰も事件の真相は語らなくなってしまったのです。

 

怖!

これってほんとに海洋冒険小説か?

 

 

で、「狂った艦長」なんて表現がありますけど、艦長という職が並々ならぬ精神的負担を負わねばならないものなんだということが、これからホーンブロワーが出世して艦長になっていく過程で描かれていきます。

責任も大きいし、誰にも頼れない。何百人もの生死が一人の肩にかかっている。ぽつんと海の上にある艦は、誰の指示も仰げないが、いつでも海軍本部から見張られている。

この巻を読む限りでは、艦長のことが恐ろしいし、狂気のことも恐ろしいんだけど、この「狂った艦長」は異常だったわけでもなんでもなく。

なんなら、「狂っている」みたいな表現もよろしくなく。シリーズを読み進んでいけば、ああ、あの人は普通の人間だったために、壊れてしまったんだ、ということがわかります。艦長職が、精神に異常をきたした原因なんですよね。

あらゆる意味で卓越した、というか、ちょっともとから異常な人間でなければ、艦長なんてできないよ、ということが、わかっていくわけです。

 

たとえば、必要があるならば、自分の艦の艦長を突き落とすことができる人、とかね。