物語の終焉に際して

わたしは一時期ゴールデンカムイという漫画が好きで、単行本は出るたびに買っていました。そればかりか、週一でヤングジャンプが発売されるのと共にアプリで更新される本誌をほとんど毎週、0時に読んでいました。

今は読んでないのかよという感じですが、たまに気が向いたときにアプリで読むくらいで、追っていません。単行本も22巻くらいを最後に買わなくなりました。この漫画自体に普通に飽きたというのももしかしたらあるかもしれませんが、展開がそこまで好みではなさそうだなという気配がしたから、追いかけなくては!という気持ちがなくなったのです。

いや、正直いうともうちょっと……好みではないものは読まなくてもいいから、読むのをやめよう。という決意を持ち、意識的に離れたのかもしれません。習慣になって楽しんでいたものから意識的に離れるというのは、思い返すと結構難しいものでした。が、今となってはそういうこともあったよね〜。という感じに落ち着いてきました。

わたしはこのジャンルの前は映画にいたので、漫画を追いかけるのは初めてでした。映画というのは封切りがあり、しかし観始めれば長くても三時間後には終わってしまいます。三時間で一応、完結するのです。シリーズものになるとそうではないこともありますけど。

日本の公開が遅いときは、海外まで出かけて早いタイミングで観るとか、そういうことはできますが。とりあえずは始まってから長くても三時間ですべてのコンテンツを目にしたことになるのです。

ここが、漫画との大きな違いでした。漫画は、それが好みだったか、好みではなかったかということが、何年か経って完結するまでわからないのです。

ゴールデンカムイは完結を迎えようとしているらしい、というのが噂として聞こえてきます。

そうか、長かったんだな、というか、いや、意外に短かったな、というか。途中で離脱してしまったので、感覚がぶつ切りで、もはやよくわかりません。

ゴールデンカムイは最初こそ主要メンバーの死をもっての離脱を控えてきましたが、最後になれば結構な数が死んでいくだろうということが推測できる漫画でした。人気のあるキャラはできるだけ長く生かしておいた方がいいし。でもあのキャラは亡くなったとか、あっちのキャラはいよいよもうすぐだと思うとか、そういうこともTwitterにいると聞こえてきます。

物語の終焉というのは、たくさんの可能性を消し、潰して、ひとつにしていくことだと思います。それは、鮮やかに綿密に可能性を殺していくということなのです。キャラを殺すということではありません。可能性の殺し方が重要で、ここにすべてがかかっているんじゃないかなとわたしは思います。中途半端な殺しをやれば、物語はすべての説得力を失うかもしれない。

殺すのが嫌だから、気がひけるからという理由で手心を加えれば、どうしてきちんと殺さなかったの?と言われ、あとから、殺しに失敗してしまったそのことが、物語の寝首を掻きにやってきてしまう。物語を生かすためには、きれいに殺しが成立していないといけないんですよね。

何よりも難しく、勇気のいること。けれども、苦労して殺した数だけ、生き残ったひとつの正解が光るのだと思います。楽しめる人は、楽しんでね!