物語の最初と最後で正反対の人になるキャラ

わたしは悪役っぽいキャラのことを好きになることが多いです。

悪役が好きなのは、好きなところが変わらないからです。悪役でないキャラというのは、変化するんです。

大抵は、キャラのもっている悪いところが改善される。例えば人とうまく関わることができない主人公が、なんやかんや紆余曲折があって、誰とでもうまく接することができる主人公になったりするのです。

そうすると、わたしはこう感じます。「あれ、普通の人になっちゃったな。」そう、わたしはそのキャラの悪いところを愛していたんです。

そのキャラにとっては、その変化は良いことだったに違いありません。誰だって人とうまく関われない人でいるよりは、人にうまく接することができる人になったほうが、絶対いいでしょ。そんなことはわたしにも分かっています。

でもそれって、そのキャラがこの世界に生きる人間だったら、の話でしょ?この世界に生きる人間だったら、絶対、うまく人と関われるようになったほうがいいに決まってる。けど、わたしはそのキャラのことをフィクションの世界の住人だと捉えているのです。

この世界の住人ではない。だから、そのキャラの悪いところを楽しむ。そこが好きだと言うんです。人とうまく関われなくて、かわいい。と思うんです。

しかし、世の中的に、わたしのような捉え方は少数派なのだということを最近知りました。世の中では、キャラをフィクションの中の作り物だとは思わず、わたしたちの世界と地続きの場所にいる人間だと捉える向きが強いのです。

フィクションが現実に与える影響は確実に大きいと思います。だけど、わたしはどうしても、フィクションの中のキャラの悪いところを求めてしまうんです。だって現実に生きる人に対して、そういうことをするわけにいかないでしょ。それって消費だからね。

で、だから、悪いところを決して失わない悪役というのがわたしは好きなんです。

変化する者だけが、主人公たり得ます。不変を貫く者は主人公に立ちはだかる壁という存在以外に、物語の中では存在を許されていないんです。

若い人が主人公のことが、多くないですか?そして悪役の方が歳上のこと、多くないですか?

これは第一に、興行収入的な思惑があると思います。映画にせよアニメにせよ、大きな収益を狙った作品はほとんどが若い人向けのことが多く、若い人向けならば、若い人を主人公にするのが一番安全。なんか脚本の本にそんなことが書いてありました。

けどそれ以外にも、「若い人は変化するし、学ぶから」「歳とった人はもう変化しないから」主人公と悪役に相応しいんです。

ここでわたしは思うんですよね。悪役みたいな人を主人公に据えたって面白そうじゃない?(まあ悪役を主人公にした時点で配置的には悪役ではないわけですけど)どうしてダメなの?

その理由は、物語が推進力を失うから、みたいです。サザエさんとかドラえもん孤独のグルメのようなものを除き、一本の長いストーリーを描く際には、変化を題材にするのが王道らしいんですね。そして、最初と最後で、その人が正反対の意見をもつ人物になっていればいるほど、良いんだそうです。この場合、変化しない人間を主人公にすることはできません。

例えば、物語の最初は幸せだった炭治郎は、人に生殺与奪の権を委ねないキャラになり、苛烈な試練や人の死を乗り越えて成長し、変化し続ける。対して鬼舞辻無惨は、不死、不死、不死、と、何百年も前から言うこと変わってない。人の言うことも聞かない。そんな感じで。成長する人が成長しない人を凌駕するというのが世界の掟でなくてはならないのです。

最初に好きになったキャラと、正反対の感じのキャラになってしまったらきっともうわたしは好きではない。好きなところを手放したキャラは、もう同じキャラではない。わたしはそう感じるけど、世の中的には、共に成長できるキャラを応援するのが主流のようです。