すごいぞ!秋山木工

ノンフィクションという番組をよく見るのですが、この前「秋山木工」という木工会社の特集がやっていました。

わたしはこの会社を知らなかったのですが、家具を作る会社として有名なようです。

驚くのはその研修生制度。十代後半〜二十代前半までの若者が住み込みの研修生、丁稚として入ってきて何年も修行し、秋山木工で職人になるんです。で、職人になってからもお礼奉公といって何年かそこで働く決まりがあるらしい。

お礼奉公ってなんか名前がすでに嫌ですけど、研修生のときに住居や食事などを提供してもらえるので、まあ、アリっちゃアリかもしれない。研修生のときもお給料もらえるんでしょうし。

そこは置いといて、研修生たちは、秋山木工で修行することが決まると丸坊主にさせられる、ということにまず驚きました。

男女共に、です。わたしは木工のことをよく知らないのですが、丸坊主にすると木工がよく出来るようになるのでしょうか?いやそんなはずはない。これは精神的なもの、覚悟の表れ、のようなものなのだと言います。わたしにはそれも分からないのでよく分かりません。

正直あらゆる意味で丸坊主にはしない方がいいのではないかとわたしは思います。でも研修生がそれに納得しているのなら、わたしがどう思おうと関係ないと思います。

また、何年もに及ぶ丁稚修行中はスマホは禁止で、理由のない外出もできないのです。わたしにとっては、丸坊主よりもこっちの方が問題なように思えました。いや丸坊主もかなりですけど。

スマホ、禁止!?YouTubeとか見られないってこと?漫画も読めないしなんのコンテンツにも触れられないってことか。何年もなんのメディアにも触れずにきたら流行や文化に疎くなってしまうのではないでしょうか。しかも二十代の大事なときです、ここで仕入れた好きなもの、嫌いなもの、というのが後の人生を支え、創造する人としての生き方を作っていくのではないでしょうか。家具を作るのに、クリエイターなのに、それで大丈夫なんでしょうか。

秋山木工の育てる職人というのはデザイナーではなく、誰かから言われたものを正確に作る、そういう職人さんだから創造性はいらない、ということかもしれませんが…そうじゃないんじゃないかな。

創造というのは、それだけで成り立つものではないとわたしは思うんですね。創造の前には、いくつものステップが必要で、創造はいろんなものが積み重なった、その最後の段階だと思うんです。

これは創造性とかの話じゃなくて人生全般の話かもしれないけど、第一に自分自身を大切にしていること。家具っていうのは人のためのものですよね。人のためを思うには、まず自分のことをきちんと思っていないと、できないと思うんですね。

自分自身のことを大切にするというのはいろんなやり方があるけど、一律に丸坊主にさせるというのは、それに逆行しているのではないかと思うんです。

それと、入ってくる研修生が「立派な職人になって親孝行をしたくて」「前の自分とは変わったところを見せて感謝したくて」秋山木工に入所しました、と言っているのを聞いて、これも意外に思いました。

それ、家具じゃなくてもいいじゃん。どうして家具を選んだのか、誰かのために、ではなく、自分はどう思っているのか、を語る人がほとんどいないのです。

家族に恩返しをしようと頑張るのも立派なことだし、誰かに感謝したいのも素晴らしいことだけど、まずは自分がどうなのか、というのが一番最初になければ、うまくいかないのだと思いました。

誰かに感謝したり、喜んでもらったりするのは、自分自身を喜ばせた後に考えればいいと思います。