「みんなとご飯」タイプの人

人と接すると疲れません?

わたしは疲れます。

みんなそうだと思っていました。が、実はそうでもないということを最近になって知りました。人と接しても疲れない人がいるんです。

人と接したり、話したり、コミュニケーションをとったりすると、わたしの場合だとHPもMPも消費する感じです。けれども、そういう疲れない人たちは疲れないばかりか、HPもMPも回復するらしいのです。

びっくりではありませんか??どういう原理で?

そもそも、人と会うってことは出かけるってことですよ。出かけるってことは疲れるってことじゃないですか。なのに??

そういう人たちは、人との関わりを通じて回復するんです。エネルギーを誰かに渡すのでも、消費してがんばるのでもなく、人との関わりでエネルギーを発生させるのです。

そういう人たち同士で会う場合、もうこれはエントロピーの凌駕なわけです。きゅうべえもウハウハ。大勢で会えば、もうエネルギーが発生しまくってですね。全員が元気になっちゃって、明日もがんばるぞっ!という溌剌とした気分で帰ってゆく。すごく羨ましいですね。

が、ここで問題なのが、このコロナ禍。

人と会っても疲れない、むしろ関わりによってエネルギーを発生させ、HPやMPを回復させるタイプの人たちにとって「人と会えない」ということはかなり大変なことだったのです。

わたしよりも何倍も大変なんです。わたしはいいんですよ、人と会うことや話すことがなくなっても。エネルギーを消費することが減り、むしろ効率的です。

人との関わりでエネルギーを発生させるタイプの人たちにとっては、このコロナ禍は深刻なのです。いや、誰にとっても深刻だけどね。本当の本当に問題なのです。エネルギーを発生させることができなくなり、元気がなくなってゆきます。

人と会うことを我慢しないといけないのに、出来ないなんて大人げない。そんなふうな目線で見がちだけれども、そもそもわたしとは負荷の量、苦しみの量が違っていたのです。

わたしは寝ることとか一人でいること、好きなことをしているときにエネルギーを回復します。が、逆に一人でいるというだけでエネルギーをどんどん消費していくタイプの人たちがいるんですね。

そういう人たちが言う「会いたい」「みんなとご飯」は、わたしの思う「みんなとご飯」とは、そもそも意味合いも真剣さも違っている。

わたしがときには一人でいたい、静かに眠りたい、と言うことと同じように、その人たちにとって「みんなとご飯」は決して欠かせないこと。

どちらが上とか下とかではなく、そういう人たちがいるんです。わたしがいるのと同じように。

感染を広げる行為はできるだけ慎むべきだけれども、「一人でいたい」も「みんなとご飯したい」も同じ切実な願いなのです。