戦争が起きても日常は続く

東日本大震災のときもそうだったんですけど、何もかもの気力が萎えてしまうんですね。

戦争が起きたり、震災が起きたりすると、わたしがやっている仕事とか日常とか、すべて無駄なんじゃないかと思えてくる。

どんなに頑張っても戦争は止められないし、わたしが何をしても状況は良くならない。だったらすべてのことは無駄なんじゃないか。どうしてこんなことやってるんだろう、なんの足しにもならないのに。

何か大きな悪いことが起きたらすべて無に帰すのに、人生を積み上げる価値はあるんだろうか?そして、困ってる人がたくさんいるのに、何もできないなら何をやっても無駄なんじゃないか?

そんな考えに囚われるのです。

けれど、実際には、それでも日常は巡るわけなんです。学生なら試験がやってくるだろうし、仕事はいつも通りだし、明日早く起きないといけないなら、早く寝ないといけない。運動しなきゃコレステロール値は上がるし。

戦争が起きても、震災が起きても、日課の運動をサボっていい理由にはならない。もちろん心がつらい場合は別だけどね。

ご飯は食べなきゃダメだし。だってわたしが何をしても状況は良くないならないけど、その代わりに、わたしが頑張って運動しても仕事をしてもご飯を食べたって、状況は悪くもならないんです。

もしわたしがご飯を抜いて何か良くなるなら抜くかもしれないけど、そんなことは現実には起こり得ない。

祈りは通じない代わりに、日常を続けても、状況は悪くはならない。何か美味しいものを食べるのを我慢する理由は無いし、眠らずにいる理由もないんです。

食べられなかったり、眠れなかったりする場合は別だけど。

そんなの当然のことなのに、忘れてしまいがちなんですわたしは。Twitterを見ていると、わたしだけではないんだということに気づきます。

他人事に捉えていいというわけではありませんが、過度にすべてを自分事として捉えると、人は生きていけないんです。

もちろん戦争を起こしたのも同じ人間。だから人間として生きていくのがすごくつらくなるけど、だからといって別の種族になれるわけでもなければ、死ねるわけでもない。

日常をおざなりにしなければならない理由はないし、してはいけない。そう思います。

今戦争が起きた国は日本ではないけど、戦時下の日本ってどんな感じだったんだろうと考えました。小学校の頃、「戦争なんて起きたら生きていけない」と思いました。戦争が起きた瞬間に、日常を続けることはできないだろうと思った。

でも、本当は、そうじゃないんだろうな。ぎりぎりまで日常を続けたと思うんです。そうするしかないから、です。