初手でそれなのかよ

仕事の関係で教会に出入りしていたことがあります。

わたし自体は初詣とか行ったりおみくじとか引いたりどっか行けば仏壇にチーンしたりするけどその他は何もしない、何か信じるかと言われると信じるような気もするが何の宗教にも積極的ではないという人です。お腹が痛いと神に祈ります。

けど習慣的に仏教とか神道の影響下にあると思います。

 

「聖書は持っているの?」

と、牧師だか神父だかの人に聞かれました。聖書は世界的ベストセラーですが、わたしは持っていないので持っていないと答えました。

「では、最初から聖書は難しいかもしれないのでこれを読んでみてね」と言ったその人は、わたしに何かの冊子を手渡しました。猫のかわいい写真がついていました。

それは、進化論を否定する内容の本でした。

えっ、初手でコレ?

わたしは聖書を持っていないので、その宗教に対して何の思い入れもないのだということがその人には分かっていたと思います。わたしは一般的な進化論を学んで育ってきたということもすぐ分かると思います。

このやり方では、わたしは今まで持っていた常識とその人が主張する説の違いに驚き、拒否してしまうでしょう。本当にそんなことを考えているの?と引いてしまうかもしれません。進化論が真実かどうかは、ここでは重要ではないんです。

その人はたぶん、進化論のことを最初にわたしに説明するのではなくて、もっと教訓的な部分、生活に役立つような(人に優しくしましょうとか)から話すべきだったのではないかと思うんです。そうすれば、後出しで進化論のことを言われたとしても、進化論が嘘かは今はどうでもいいな。とわたしは思い、もっと学んでみようと思ったかもしれません。

 

また、結婚式に立ち会う機会があったときのことですが、牧師だか神父だかは初めにこう話し出しました。

「神は人を男と女とに作られた。」

初手でコレはマジでどうなのでしょうか。

結婚式は、どんな宗教の人も、宗教を持たない人も、いろんな人が参列しますよね。そして、性別もそうだと思います。100人列席者がいたなら、いろんな人がいると考えられます。

性別が女の人、男の人、どちらでもない人、決めない人、グラデーションの中間の人、グラデーションの男寄りの人、女寄りの人…そもそもその枠にいない人。もちろん体の構造と本当の性別が違う人もいます。

男と女である人は、牧師だか神父だかのお話しにすっと入れるでしょう。

が、その他の人は、ン?と思ってしまい、「ああこの人はわたしの話をしていない。わたしに向かって話をしていない。」と思い、聞くことをやめるでしょう。

もちろん、宗教に則った結婚式だから、その宗教のルールで行うのは当たり前です。が、もしこれが布教の一環という意味があったなら失敗なんです。

男と女に作られた。についての注釈があるか、もしくはもっと万人に向けた話が最初にあったなら。男と女の話が後に出てきても、そこは重要ではない、話の根幹ではないと思えて、話を聞こうとする人は増えるかもしれません。

宗教もオタクもそうだけど、布教って難しいよね。